「自己表現を志すなら、男も女も〝だし〟は自分でひけ。料理は人生を映す」辰巳芳子の教え【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第7回 料理は人生を映す 『手しおにかけた私の料理 辰巳芳子がつたえる母の味』辰巳芳子著
忙しいのに、いちいちだしなんかひいてられるか! 今は、いいだしがパックになって売っているのだからそれを使えばいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。いや、だしのパックを知っているだけでも上等だ。ある料理番組で、若い主婦が指導してくれる料理研究家に「だしって何ですか?」と聞いているのを見て、驚いたことがある。
とにかく一度も自分でだしをとったことのない人は、昆布と鰹節でだしをとって、味噌汁を作ってみてください。大げさでなく、料理に対する意識が変わること間違いなしだ。
この本を読み返して、改めて感じ入る言葉が多々あった。
「煮炊きものこそは、人間の手より、火が仕上げてくれるものであることを心底、年齢と共にわかり、火加減を掌中におさめるようにして下さい」
「料理においては、我を捨てて、素材と調理の法則に従うこと、これ以外にないと思います」
「お料理をよくしたいと思う方々に、山椒の木一本、柚子の木一本をお育てになることをおすすめします。包丁を持つこと、煮ることばかりが料理でないと思います」
そうだよなぁ。自分でだしをひいて作った吸い物に、自分が育てた柚子の皮を散らしたら、たいそう贅沢な一品になる。
料理はその人の生活、さらにはその人の人生を映すものなのだと、つくづく思った。
一緒に焼鳥を食べた友人は、Mさんの家に一緒に行った人だった。丁寧に焼かれた、つくね、レバー、ハツ、手羽先などを食べながら、Mさんの話をした。
Mさんは日本のトップデザイナーの広報というきらびやかな仕事をしながらも、きどったところが全くなく、近所のおばちゃん的なノリのある面白い人だった。とはいえ、部屋はさすがだった。ごく普通の2DKのマンションだったが、彼女の審美眼で選ばれた古民具が置かれ、細部にまで美意識が行き届いていた。そこにいるだけで、丁寧な暮らしぶりが感じられた。Mさんは40代で仕事を辞めて、郷里の盛岡に帰られ、その後テレビ関係の仕事についたという知らせがきた。しばらく年賀状のやりとりが続いたが、10年ほど前に音信が途絶えた。今頃どうしているのだろう。
Mさんの家で私は『手しおにかけた私の料理』と出会い、自分でだしをひく生活を送るようになった。これからもだしをひき続けるだろう。生活の支柱を作ってくれた御礼の手紙を出してみようか。
きっと今でもMさんは、あの時と同じように丁寧に暮らしているに違いない。庭で育てた柚子や山椒や木の芽を料理にあしらい、楽しんでいるのではないだろうか。
文:緒形圭子
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